通勤時間は短いのが理想
と今まで思っていました。一般的にもそういう共通認識がある思います。
長い通勤時間は無駄にするまいと思いながら長らく過ごしていましたが
実際に短くなると無駄であるはずの通勤時間でさえ勿体なく感じてしまったという不思議な悩みを綴っています。
通勤時間が短くなりました
今月からの異動で通勤時間が短くなりました。
電車⇄バスの乗り継ぎが必要だったのが、電車1本で行けるところになり
乗り換えにひりひりする手間も減りました。
バスは本数も多くなかったしね。
学生さんも乗るバスだったので朝早いシフトだとバスがぎゅうぎゅうのときもありぐったりの日もありました。
「前より楽になったでしょう」「よかったね」と同情の声も何度か頂きました。
本当だよ…!2年間もよく頑張ったと思う。もうこれずっと続くのかと思ってた。
異動してから何度「うおお幸せか!」と思ったことか。
この幸福感も慣れていって褪せてしまうんだろうな。儚い。
これまでの通勤時間にしていたこと
「無駄な時間を過ごしたくない」
と私は常々思いがちです。
現代社会がそう思わせるというか、現代人はそう考えがちなのではなかろうか。
私はそういう思考の割に物事をあまり効率よく処理できていない気はしています。
まあそれは置いておいて
前の遠い職場の通勤時間、特に朝の通勤時間は大切に大切に使っていたつもりです。
何をしていたかというと、”読書”です。
朝は頭の中がすっきりしている感じがするので
「知識」や「考え方」の詰まった素敵な言葉や文章で頭をいっぱいにできる感じがとても好き。
「ビジネス書」とか「自己啓発本」とか「実用書」とか
学生の頃は自分が手に取ることのないジャンルの本なのだろうなと思っていました。
人は変わるものですね。
読むペースはかなりゆっくりです。
例えば同じジャンルのものを突き詰めるならたくさんの冊数を読んだほうがいいのだろうな
とは感づいてはいるのですが、じっくりゆっくり読んじゃう。
ひたすらスマホにメモしながら読んでいます。
「さくさく読むなんて勿体ない」とか
「何か大事なものを取りこぼしてしまうんじゃないかな」とか
思っちゃうからでしょうね。
本来は時間や手間をかけなくてもよいことに私は気を取られがちだと思います。
なんだか話が逸れてきたな。
通勤時間が短くなって不安に思ったこと
通勤時間が短いのは理想的なこと
と思っていたので「あれ…?」と引っかかることがちょっと不思議ではあります。
でも引っかかったものは仕方ない。
何故かというと今まで読書に充てていた朝の時間が減ったからですね。
通勤時間が短くなるのと一緒になって
物理的に「素敵なものを吸収するための時間も減ってしまったよ~」と思っちゃうんでしょうね。
通勤時間を無駄にしてこなかった証拠だね。
無駄になってしまいそうな時間をそうしなかったからこそのもやもやかなと思います。
通勤時間って無駄な時間になるかと思いきや空白の時間にもなり得るんですよね。
空白の時間って自分ではなかなか捻出できないものだから
通勤時間が短くなったことで生まれるはずの空き時間がどこかに消えてしまっているんじゃないかな
という感覚になっているわけです。わけわからん。
でもお家に帰ってこれる時間も早まり、こうして記事を書く時間もつくれるようになりました。
時間は消えていないね。安心してね。
これを書きながら少し気持ちが和らいできたような感じがしています。
今後の時間の使い方
今後も朝の通勤時間は変わらず読書をします。
”時間”への意識が薄かった今までよりも、「短くなった」制限つきの時間のなかで
もっと大切に読書と向き合えそうな気がしています。
帰りの通勤時間についてはここまで触れませんでしたが
お仕事でへとへとになった状態では有意義も何もあったものではないので
お家に帰れるまでの時間が短縮されてとても贅沢じゃないか!!と思っています。
前より早くにお家帰って、自由に過ごす時間も増えています。
「今日も頑張ったなあ」と自分を褒めて労わって
こうして書き物をする時間に使ったり好きなことに触れるのに費やして
素敵に過ごしていきたいです。
〖ひとりごと〗これってサンクコストじゃないか
サンクコストじゃない!?
本で読んで知った言葉です。経済学で使われる用語らしい。
ざっくり意味を説明すると
サンクコスト=既に費やしてしまったお金や時間、手間を惜しんで、本来は損であるものなのに損切りできずにお金や時間、手間を費やし続けてしまう傾向のこと。
本来は短いに越したことはないのに通勤時間を惜しんでいるというのはそれに近しい気がする。
自分にとって大事なものがちゃんとわかるといいな。
私の記事は全体的に内面の暗さが出がちな気がしています。
大丈夫ですか?どんよりしてないかな。
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